2008.04.19 Sat
安楽死と向き合う
リンダ・ピーターソン著
大田仁美訳
出版 株式会社ジュリアン

以前、里子に出した犬が危篤状態になった時、病院に駆けつけた私に、その子の里親さんから、「経験豊富なあなたならどういう判断をしますか?」と問われた事があり、私はこう答えました。「ひとつとして同じケースなんてありません。この子はアークの子でも私の子でもありません。飼い主さん自身で答えを出さないと後悔すると思います。」
アークでたくさんの子の安楽死を経験してきましたが、ひとつとして同じケースはなく、どの子にもそれぞれの生い立ちや性格があり、理由や経緯も様々です。いつでも、担当しているスタッフみんなで、その子にとってのできる限りのこと、ベストは何かを模索し、検討し、あえぎながら、向き合って、決断をしてきたつもりです。
個人的な体験では、家族の意見があわずに安楽死に踏み切れず、食べることすらできなくなった子の口に蜂蜜で溶いた薬を突っ込んで看病を続けたこともありました。
私だって、寝食を共にしてきた我が子の最期が近づいた時、アークで多くの体験をしているからといって、何の迷いもなく答えを出せるかといえば、そんな自信は全くありません。きっと、落ち込んで、自暴自棄になって、自分を責め、周りにあたったり迷惑をかけたり、泣いたり、後悔したり、迷って、迷って、現実を受け入れることができないと思います。だからこそ、この本を読みました。アメリカでの事例なので、日本では当てはまらない部分はありますが、いつ来るかわからない別れの時に供え、心の準備をすることは、飼い主としての義務でもあります。夫とも「もしも悪性の癌だとわかったら?」「何をしてあげる?」「安楽死するとしたらどのタイミングが適切だろう?」などの具多的な話をしています。普段の冷静な時にそういう会話をすることで、我が子がいつまでも健康で元気ではなくいつかは死ぬんだということ、いざという時に取り乱して夫婦関係まで気まずくなり、我が子に心配をかけることがないようにしたいと思っています。
こんなこと、考えただけでも辛くなってくるんだけど、だからって避けて通れる問題ではありません。目を逸らすことは、飼い主としての責任を果たさないことになるからです。
「安楽死」
日本ではまだタブーに近い言葉です。
アークに引き取りの相談を持ちかけて来られる飼い主さんに、安楽死を提案する場合もあります。最後の命綱として相談してこられた方に安楽死のお話をするのは、こちらとしても大変勇気のいることです。人間でも歳をとってから環境が変わるのは相当なストレスです。動物も同じです。言葉が通じない分、理解ができずストレスから体調を崩す子もまれではありません。飼い主である以上、その命に対する責任があります。自分が辛いからその子を安楽死できない?どうか、その子の気持ちになってみてください。飼い主と突然離れ離れになって、孤独と不安を抱えて生き続けること、または保健所のガス室で見知らぬ動物達とごちゃまぜになって身悶え息絶えること、自分が辛いからと目を背けることで、今まで一緒に暮らして来た子が最悪な運命を辿るのです。どうか、飼い主であるあなたが責任を放棄しないでください。しかし、冷静に話を聞ける心理状態ではない方に切々と説いても、理解を得られない場合がほとんどで、相談を受けるスタッフも相当なストレスを抱えています。
また、アークのような保護施設の場合、攻撃性のある子や人と係わることがストレスである子(野良犬であったなど…)の処遇は大変難しい場合が多々あります。人を咬んだことがある子を里親さんに出すのは困難です。里親さんが了解しても第3者を咬んでしまう危険もあります。人と係わることがストレスである子は、家庭で安心して暮らせることができるでしょうか?かといって、アークで生き続けることは、幸せといえるでしょうか?
安楽死、いくら考えても、いくら議論しても、答えなんて出ない問題。でも、動物を飼う以上、避けては通れない問題です。
☆☆☆お知らせ☆☆☆
4月20日(日)はGREEN DOG里親会!
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安楽死・・・ とても賛否両論あると思います。片方に偏るよりも賛否両論ある方が良いと思います。一生答えなんて出ないし、出して欲しく無いので。個人的には『うどん君と抱っこ』にコメントさせてもらった様に、批判的では無いです。賛成とは言いたく無いし、言えませんが。動物に対してだけで無く、人間に対しても難しいですね。
| ころこ | 2008/04/20 00:36 | URL | ≫ EDIT